現実は自分が創っている
世界は自分が創っている
そう思えることが増えてきて、現実にべったりと張り付きにいくことも少なくなってきた。
だけど、どうしてもそうは思えないことだってある。
それはいいことが起こったときも嫌なことが起こったときも同じ。
いいことが起こったときは、それが起こったことがラッキーとか運がいいとか思ってしまう。嫌なことが起こったときは、相手のせいにしたくなったり自分にはどうすることもできないと思ってしまう。
特に嫌なことが起こったとき、そして相手やものごとに対して執着が起こっているとき。
相手に拒絶される、状況が自分にとって悪い方向に進んでいくなど、現実が強烈な威力で襲ってきて、私にはどうすることもできないと思ってしまい、パワーをどんどん出せなくなっていってしまう。
頭の中はネガティブな思考でいっぱい。未来への不安、失ったらどうしようという焦り、さみしい、悲しい、苦しい、そんな感情がさらにネガティブな思考を引っ張り出してくる。
その頭の中の思考が次の現実を創っているのに。
わかっているのに、その思考にストップがかけられない。だから、次の瞬間もその思考が現実になって、同じことが繰り返されていく。
でもね。
現実には本当に力がないの。なぜなら、その現実を創ったのは、過去の自分の周波数だから。
スクリーンに映ってる映画と同じ。過去に考えたこと、過去に自分が出した波動が、今目の前に広がっているだけなの。スクリーンはどうこうできない。スクリーンを変えたいなら、映写機の方を操作しないといけない。
だから、今目の前に広がっている現実は変えようがない。だから、今考えていることを変えて、次の瞬間を変えていくしか方法はない。
つまり、今目の前で苦しい現実が起きているとしても、頭の中・心の中は幸せを感じてていいってこと。それくらい、現実には圧倒的に力がない。
反対に今この瞬間に自分が出している周波数には、強烈に力がある。
とはいえ、苦しい現実が持つ偽りのパワーは強烈に思えてしまう。一瞬で自分に襲いかかってきて、「ダメだ、無理だ、太刀打ちできない」と思ってしまう気持ちもわかる。
だけどさ。
「絶対あきらめたくない!!!!」っていう想いなら、持つことができると思わない?
そのものが、その相手が、本当に大好きなら。自分にとって必要なら。一緒に過ごすことやそのものを手にしていることが本当に自分の真の幸せだと思うなら。
全てのものごとを、始めるか、終わらせるか、続けるかは全部自分次第。
自分が自分をあきらめたら、その瞬間に全てが終わる。あきらめなければ、あきらめることを自分が受け入れなければ、自分の中でそのことが終わることはないってこと。
「私は絶対にあきらめない」って思った瞬間に、私にはどうしようもないと思っていた現実から離れることができて、自分に主導権が戻ってくる。
現実をどうするか決めるのは相手じゃない、それを決めるのは私自身だという立ち位置に戻ってくることができる。
人のことはいい側面ばかり見えるように感じるけど、うまくいってる人、成功している人、すべてがきれいにかっこよく進んでるわけじゃない。
泥臭くても、髪を振り乱してても、かっこ悪くてもいいじゃん。もうこれ以上頑張れないってところまで、あきらめないで頑張ってみたらいいじゃん。
大切なものや望むものをあきらめることに比べたら、かっこ悪いなんて大したことじゃない。
そこまで自分の内側にコミットしている人に、奇跡が起こらないわけがない。
それだけフォーカスして命を使って取り組んでいることが、自分の宝物にならないわけがない。
きっとそのあきらめなかったって経験は、自分の絶対的な自信になるから。
だから、自分の本当の望みや大切なものを、そう簡単にあきらめないで。
それは執着とは違う。執着は相手に対してすること、あきらめないのは自分との強いつながり。
まだまだまだまだできることは山ほどある。
変えられる自分の内面の感覚はたくさんある。
その立ち位置に戻ったところから、内面もその先の現実も、望む方向に変わっていくよ。