意識の話

「うまくいっている」のが善しという幻想

 

人気があるとか
お金があるとか
パートナーシップが良好とか

つい、うまくいっているのが善しとか、うまくいっている状態になりたいとか、思うものですよね。

とくに、自分の「うまくいっていない」一面に目が向いてしまっているときはうまくいっている人を自分の上に置いて「善きもの」としたくなります。そして、その人を上に置いた瞬間に、自分のことを「善くないもの」と捉えてしまいます。

私も長らくそうだったし、今も自分の気分が下がっている瞬間は、その思考に飲み込まれそうになったりします。

そんなときは瞑想。
あとはうまくいっている一面にフォーカスする。

これはね、無理やりポジティブに考えようとか、うまくいっていないことを見て見ぬふりしてるとか、そういうことではなくて。

人間は、いつどんな状態でも、自分の中から無条件に愛を持っているのが本質的な状態だ、ということを意識の深い部分で確信しているから、必要なのはその意識の場所に戻るだけと感じられるということなんですね。

「私はうまくいっていない」と自分に対して感じることは、「私から無条件に愛が生まれる」と感じられる意識の深い部分の本当の私自身とギャップが生まれているからそう感じるというだけのことで、その意識の場所に戻ることができれば「うまくいっていないと感じる私」がなんら問題ではなくなるのです。

話は戻って、
ふと思いました。

「うまくいっている」ってなんだろう?
人気があることがうまくいっているということ
お金があることがうまくいっているということ
パートナーシップが良好なのがうまくいっているということ

私は、結果と同じくらい過程が重要だと思うのです。

特に他人に対しては、結果しか見えないのに、それが全てのように感じられたりする。

パートナーシップが良好だという結果に至るまでに、うまくいかない過程を乗り越えてきていたり、お金があるという結果に至るまでに、お金がない過程を乗り越えてきていたりするもの。

つまり、そこから「どれだけ学べたか」が「うまくいった」ということだと感じます。

だから自分が「学べた」と感じるなら、結果が一般的に見て「うまくいった」と言えないものであっても、それは自分にとっては「うまくいった」ということなんですよね。

今自分がいる場所が「最善の場所」と感じられるならそれは過程、結果に関係なく自分の最上の喜びの場所。

隣の芝生は青く見えるものですが、うまくいっているように見える人だって、取り繕ってるだけだったり、うまくいっているように見せているだけだったり、うまくいっていないことにも目をつむれるくらい鈍感になっているだけだったりするものです。

でも比較ほど無意味なものはない。

だから大事なのは、今この瞬間の自分が完璧に満たされていると感じられていること。

そのことを感じられるためには、「満たされていない」と感じる心と身体の感度を高くしておくこと。自分の感覚を誤魔化さない、嘘をつかない、モヤモヤを見逃さない。

そして、いつでも戻る場所は、自分の深い無条件に愛が湧いてくる感覚の場所だと思い出すこと、ですね。

 

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