友人、同僚、家族、恋人。
いろんな人と言葉のやりとりでコミュニケーションをとりますが、素直な気持ちで嘘をつかないやりとりができたら気持ちがいいと思いますよね。
でも、その言葉のやりとりは、真実なんでしょうか?
「相手が本当は何を考えているか知りたい」なんて思ったことはありませんか?
喧嘩の相手が何を考えているのかさっぱりわからない、言葉にしてくれないからどう思われているのかわからないし気になる。
このように、私も相手が何を考えているのか知りたい、と思っていた時期がありました。
95:5という法則があります。
人間が自分で認識できている顕在意識は、全体のたった5%で、そのほとんどである95%は「潜在意識」といってその人自身も認識できていない部分にあると言われています。
つまり、表に見えている部分はたったの5%で、見えない部分が95%もあるということ。
ということは、相手がいくら本音だと言って言葉を発していても、本人も自覚していないレベルでそれが本音ではない可能性があるのです。
そう考えると、今目の前の人が本当は何を考えているのか?なんて、本人もわかっていないことかもしれないですし、口から出ている言葉の信憑性もそんなに高くないことがわかってきます。
でも私たちはこのことを知らずに、目の前で起きていること、目の前の人が話していることが世界の全て、相手の全てであると思いがちです。
相手が「嫌い」と言ってきたから、「私は嫌われている」
状況が「好ましくない」から、「私はうまくいっていない」
だけど、それは本当でしょうか?
例えば、相手の「嫌い」は「好きの裏返し」だったかもしれない。
例えば、相手の「好きな人ができたから別れよう」は「あなたの幸せを心から祈っている」という突き放す愛だったかもしれない。
例えば、「裏切られた」と感じている過去も、「全てあなたの幸せのため」だったかもしれない。
この世界の、大前提は愛です。
喧嘩をするのは、自分のことを理解してほしいという押し付けですが、理解してほしいの前提には、「あなたと仲良くしたい」という気持ちがある。
相手との幸せを諦めたくないから喧嘩をする。
素直な愛で表現できればいいのに、自分ができるだけ傷つきたくないからと、攻撃してみたり、拗ねてみたり、ひねくれてたりすることがほとんど。
少しだけ素直になって少しだけ意識を拡大させれば、相手と自分の違いを受け入れるという
愛の選択がとれることが容易にわかる。
この世界の、戦争、対立のような一見ネガティブだと思えるものの根源に必ず愛があります。
その立ち位置に立てると、今までネガティブに捉えてきたものが実は愛だったことがわかってくるし、全ては愛から始まっていたことがわかると、自分が大切にされていたこと、不幸の反対側の愛の中に存在できていたことがわかるようになります。
そうやって前提が覆っていくと、今の自分が変わり、そしてこれからの自分も変わっていく。愛の連鎖が生まれていきますね。