意識の話

私は特別な存在?

 

人間だれもが唯一無二で特別な存在だけど、それは誰かと比べて特別なのでも、誰かにとって特別なのでもない。

「特別」は使い方の難しい意識だ。

誰かと比べて特別、誰かにとって特別、この意識を使ってしまうとき、自分に陶酔しているような危険な状態になる。

傲慢になったり、マウント意識でコミュニケーションを取ったりするから。私ってすごい、私ってすごいと、舞い上がっている状態。

その状態は、周りから見たときに見苦しいのはもちろんだけど、比較して特別じゃなくなったとき、誰かの一番ではなくなったときの自分を痛烈に自己否定することになるから、この先いつかの自分にも優しくない。

自分の中の愛や平和とつながって、生まれてきたことや生きていることが唯一無二で特別だと思えるとき、それは本当の特別さを自分で知っているということになる。

その状態で、自分のことを当たり前に人に話すとき、それは潔く周波数の高い話になる。

自分の身に起きたことの素晴らしさが、当たり前に自分に起きたし、望むなら相手にも当たり前に起きることを信じて疑わない状態。

私は真我の性について考えるときはこの意識になる。でも、自我の性について考えるときはまだまだ傲慢な意識に戻ったりする。

真我の性と自我の性 今日書く話は「私にとって」のお話です。 私は、性というものの多くに興味があって、私の前に現れる性の体験は一度は全部体験して...

だから遊ぶように軽やかに自我も真我も楽しむのみ。失敗しても成功しても、そんなのはどっちでもいい。ただ、楽しみ遊ぶのみなのだ。

 

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