意識の話

「邪」を正面から見る

 

見たくない自分の一面、見てますか?

「邪(じゃ)」とは、受け入れたくない自分の一部、目を逸らしたくなる自分の一部、「これが私だなんて」と愕然とするような自分の一部。

この「邪」が、本当は自分の宝物。

あまりにも強烈な自分の「邪」は、直視できないことが多くて、そんな一面を自分が持っていることにも気づかなかったりします。

多くの場合、その「邪」は他人が「嫌な態度や言動」として見せてくれる。
それが自分の「邪」の投影だと気づかないうちは、相手を悪く言ったり、マウントを取ったりして優越感に浸ったりします。

 

例えばこんな私の話。

つい数年前まで、人の悪口を言う人がとても嫌でした。昔悪口を言われた辛い記憶があるからなおさら、悪口を言う人に反応していました。その性格の悪さ、根性の汚さを恥ずかしげもなく世界に堂々と表現できるなんてなんて図太いんだろう、本当に気持ち悪い!と思っていました。

そしてそんな人を見て私はこう思っていたのです。
「この人、本当に器が小さいんだな、かわいそう」

ここに私の「邪」があります。

悪口を言おうが言うまいが、それはその人の自由。実際、悪口を言っている人を見ても、心が全く反応しない人もいます。図太い!気持ち悪い!って反応するってことは、心の中に眠らせているカケラがあるということ。言い換えると、私が「人の悪口を言う」ということに対して何かしらの制限を自分にかけているということ。

その制限や反応している内側の自分のカケラを見ずに、「かわいそう」と言って、人を下に見て優越感に浸るこの私のマウント性が「邪」です。

 

私は、自分の内面を見ることにかけては、アスリート並みにストイックだと思っています。他人が見せてくる嫌な一面は、自分の中に眠らせているカケラだと分かっているから、見ざるを得ないのです。

それでも、まだまだ直視できていない「邪」があることに今朝気づきました。

相手を手放したくない、嫌われたくないという思いの隅にあった確かな事実。

「相手の価値は私の価値、だから手放したくない」

腹黒さ、小狡さ、自己陶酔、承認欲求、自信のなさ、自分の中にそんな「邪」をたくさん見た一日でした。しかも相手の価値は相手のものであって、私のものではないのに。はい、勘違い、痛い、図々しいも追加です。

気づいてしまった瞬間は、自分のあまりの邪悪さに、もう光を浴びたくない、死んでしまいたいくらいの思いでしたが、今はもう白旗を上げて「こんなしょうもない私」を受け止めています。

一つずつ、拾い集めて磨いていきたいと思います。

「邪」は宝物です。自分の中にある「邪」、丁寧に見ていきましょうね。