オーガズミックアクティベーション

100の言葉よりたった一度の体感

 

「腑に落ちる」とは、心の底から分かるということで、腑=はらわた・内蔵、つまり身体が理解するということ。本当に言葉はよくできてるなと思います。

100回頭に知識を入れて何度も理解したつもりでも、身体に落ちていなければ自分自身の血肉にはならないし、自分の当たり前にもならない。

逆にたった1回でも身体が納得する体感を得ることができれば、それが自分の当然になって、そこから出る言葉も行動も態度もエネルギーも全てが変わる。

人と人との間で交わされるコミュニケーションにはどうしても言葉が必要になり、人に何かを伝えたいと思うときには言葉とか文章が必要になったりするけれど、言葉だけ文章だけで相手の思っている全て、考えている全てを腑に落とすことは究極に難しいと思う。

いくら親しい人でも、愛するパートナーでも、その人が「悲しい」と思っている感覚と、自分自身が「悲しい」と思っているときの感覚は全然違うかもしれない。人によっては涙が悲しみの究極の表現方法かもしれないけど、ある人にとっては涙が出ないほど悲しいという状況があるかもしれない。

だから、いくら「あの人のようになりたい」と思うような憧れの人がいても、その人の発信していることを身体で体感しなければその人のようになれる日は来ない。その人の言葉を聞くでも、その人の文章を読むでもなく、何をどう感じているかに思いを馳せ続けることが、その人に近づく近道だと感じる。それか、その人がやっていることを形だけでも行動に移してみること。

ドラえもんの道具に「体感コピー機」なるものがあれば、つながりたい人と一瞬でつながれるようになるだろうなと思う。憧れのあの人がどう感じて生きているのか分かるし、つながりたいパートナーがどんな感覚を抱いているかが身体で分かるから。

でもそんな機能は人間にはない。言葉や文章でしかコミュニケーションが取れない。だから必要になるのは、愛を向ける気持ち。理解しようとする心。心を通わせたいという思いやりの気持ち。つまりエネルギー。

 

人間は、頭で考えるよりも、身体で感じる方が何事もうまくいく。その空気感、エネルギー、表情、声のトーン、視線、ぬくもり。それに敏感になって、それを大事にした方が、言葉の何倍も相手の思いを感じられる。

だからまずは感情が必要。感じる身体が必要。

感情は身体に溜まっている うれしい、幸せ、楽しい、悲しい、無価値感、罪悪感などいろんな感情がありますが、全ての感情は人間でなければ感じることができないプレシャ...
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