つい自慢したくなってしまう
ついマウントとってしまう
つい周りの人を見下してしまう
そんな自分を責めてませんか?
自慢・マウントってうざい、よくないって社会では言われるから
そういう自分の一面はなくしたいと思うかもしれません。
私も自慢したい、マウント取りたいと感じてしまう自分に嫌気がさしたことがありましたが、
「あることがわかってから」自慢することマウント取ることがなんでもないと思うようになったし、逆に自慢したい、マウント取りたいという気持ちがスーッと消えていきました。
自慢したくなる、マウント取りたくなる、それはなぜそう感じてしまうか?というと
それは本当にあなたがすごい人だからです!!
以上、終わり。
なんですよ。
本当にただそれだけのことなんですよね。
自慢したくなる、マウント取りたくなる、「そのこと」が、本当に秀でていて、すごくて素晴らしいから、だからそのことを周りの人に伝えたいと感じる、世界に表現したいと思う、純粋にそれだけのことなんですよね。
そんなすごいことなら周りだって話を聞きたいじゃないですか。
そのすごさから影響を受けたいと思うじゃないですか。
だからそれでいいんですよ。
自慢しちゃダメ、マウント取っちゃダメ、っていう概念を外して、思いっきり自慢して、マウント取って
「私ってこんなにすごいのよーーーーーーーーーー!」って話してOKなんですよ。
だってあなたはすごいから。
自慢してるみたいに聞かれたくない、マウントみたいになりたくないと思っていると、本当は話したいというエネルギーと変に受け取られたくないというエネルギーが反対方向に引っ張り合うから、
話したいことが話せなかったり、付け足しみたいになったり、逆に出し惜しみ状態、何を言いたいのかわからない状態になります。
そんな話し方をする方が中途半端で変なエネルギーになって相手に伝わります。
だから思いっきり自分のすごさを世界に放てばいいんです。
それを繰り返すと、だんだんとその自分のすごさが当たり前のことになります。
そこまでいくと少し前の自分を振り返って気づくはずなんです。
「私が本当に自慢したかった・認めてほしかったのは、他人じゃなく自分だったんだな」と。
自分で自分のすごさ、素晴らしさを受け入れていないときに誰かからの評価・承認がほしくなって、それが自慢やマウントという形で現れるんですよ。
心にあいている「私は素晴らしい」というスペースに埋めるものを
外や他者に求めにいったときが「自慢・マウント」で
内なる自分に求めにいったときが「私は素晴らしい」なんですよね。
だから、初めから「私は素晴らしい」「私はすごい」なんです。
先に素直にそう世界に放っていれば自分の器がすぐそこに見合い、自分でも当たり前にそう思えるようになるんです。
これだけで素晴らしいと思うじゃないですか。
でも、この「私は素晴らしい」という純粋な意識にいられるときに最も喜ばしいのは、
自分と同じくらいに、他者を素晴らしいと心から思えることなんですよね。
自分自身を素晴らしいと思うほど、自分の中から他者との比較や優劣の感覚が薄くなっていきます。
だから、自分も素晴らしいし、相手も素晴らしいになります。
これが苦しみのない世界で大きな喜びで、生きている素晴らしさで、幸せの感覚です。
だから、自分のすばらしいところ、凄いところを
素晴らしいまま、凄いまま、世界にどんどん出していきましょうね。