セックス=挿入は間違いというお話の続きです。
ではセックスは何なのか?
セックスとは、エネルギーのやりとりです。
エネルギーとは、自分から生まれる感覚のことを言っています。
触りたい、愛おしい、好き、安らぎ、幸せ、自分から生まれるそういう感覚、気持ちのこと。この感覚や気持ちを相手と交流する・共有する行為のすべてがセックスです。
だから、セックスの前後、日常の会話、目線のやりとり、やさしさのやりとり、愛のやりとり、このパートナーと交わし合っているそのすべてがセックスなんですよ。
なぜそうなのか?
それはセックスを通して人が根源的に得たいと思っているものを考えるとわかります。
セックスを通して人が根源的に得たいのは、こうした感覚や気持ちを相手と共有する【喜び】です。
触りたいと感じて触れたときに自分の中に生まれる喜び、
相手も喜んでいると感じたときにまた感じる喜び、
愛おしいという気持ちを表現したときに自分の中に生まれる喜び、
その喜びで相手も喜んでいると感じたときにまた自分で感じる喜び、
ただこの【喜び】を感じたいのが人の望みです。
(この喜びがオーガズムそのものです)
この喜びを交わした先に、おまけのようについてくるのがセックスにおける勃起・挿入・射精です。
おまけなので、あってもなくてもいいのです。
このおまけを通して感じられる体感は、先に書いた喜びに比べたらほんのわずかな一瞬の快楽なのに、これがセックスの全てだと思っている人がほとんどなんです。これがあるからセックスレスが苦しいんです。
ですが、実際に挿入のないセックスレス状態であろうとも、先に書いたような根源的に得たい喜びは、日常的にパートナーとの間でいくつも感じられているはずなんですよ。
日々の会話が幸せだったり、笑い合ったり、一緒にいて幸せと感じたり、そのやりとりがエネルギーのやりとりの全てなんです。
なのに挿入を伴うセックスがないだけで、その喜びの全てがない、愛されていない、女性としての魅力がないと思い違いをしています。
私もそうでしたが、
セックスさえできれば性欲が満たされて満足できる、
セックスさえ求められれば愛されていると感じられる、
セックスさえあれば女性としての魅力が自分にあると感じられるのに、
と思っていましたが
このマインドだと仮に挿入というセックスが戻ってきたとて、本質的に自分が満たされることはありません。
すでに日常に愛のやりとりというセックスが一つでもあることを十分に味わえていないのに、それ以上がもたらされても味わえないんですよ。
味わえないから満たされることもない。
味わう感覚、感じる心を取り戻すのが先。
すべて逆なんです。
自分が喜びであふれているから、その喜びを受け取りたいパートナーがセックスを求めるようになる。
幸せを味わえる自分だから、その幸せを一緒に味わいたい男性が目の前に現れる。
だから、セックスレス解消のために取るべき行動は、相手をどうこうしようとしたり、セクシーな下着や服を着るとかそういう小手先の行動ではなくて
まず自分の感じる心を見つめ直すことなんですね。
すでにあるものに気づく、すでにあるものを味わう、そういう感じる感覚を取り戻すこと。
これが分かれば、もうセックスレスはあなたの悩みじゃなくなるんですよ。
すでに得たいものがあるとわかるから、挿入セックスが意味を持たなくなるのです。
ではどうやって見つめ直していくのか、感じる心を取り戻していくのかについて、引き続き次の記事でお話ししていきます。