以前に書いた記事。
このとき、愛について2つの視点があると書きました。
・愛する側
・愛される側
愛する側が「愛を与える」という意味でGIVE(GIVER)、愛される側が「愛を受け取る側」という意味でTAKE(TAKER)。
これは、愛するのと愛されるのとどっちが幸せ?とかそういう表面的な話ではなく、自分の意識がどちらを向いているかという話です。
私はGIVERになりたい。いつも自分から愛を放っている存在になりたいと思っています。
私はこのとき、TAKEとGIVEを「愛」の観点で捉えたことで、GIVERでいるためにはいつも自分の中に愛を感じている必要があると感じました。
確かにその通り。意識の世界、自分の中に内なる宇宙を見るとき、人間の通常の意識状態は「いい気分」ですから、「いい気分」でいることができるということはすなわち自分の中に愛があるということ。
そしてその愛は、いつも話しているように外側から満たされているからあるのではなく、いつも自分の中から無尽蔵にあふれているもの。
でも、人間はいつもその高い意識状態ではいられない。
いつも愛する側に立ちたいと思っていても、仮に相手から愛を感じられないという出来事が起こったときに「私はいつも愛を与えるポジションに立っていられるのか?」という疑問を持ちました。
「愛」ってなんか重い。
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このことについて、もっと楽に考えられる視点を得ることができました。
それは、GIVERとして与えられるものを「愛」そして「元気」「笑顔」と捉えること。
「あの人といると元気になれる」
「あの人からパワーがもらえる感じがする」
「一緒にいるときはいつもくだらないことで笑ってばかり」
「私はあなたの笑顔が好き」
いつも自分が愛を与える存在だと捉えると、重たい感じがします。そうなれないときもある、嫉妬や執着に駆られて、自分の中に枯渇していると思うこともある。
でも「元気」「笑顔」と捉えると軽いですよね。元気や笑顔なんて、少し気の持ち方を変えるだけでいつでも私の中から溢れさせることができる。
自分の落ち込みや気分の上下なんて、それくらい簡単で軽いことだって思っていい。
自分自身には、相手に何もGIVEできるものがないと思っているかもしれない。でもあなたが元気でいるだけで、あなたが笑顔でいるだけで相手はあなたと一緒にいてこれ以上ない喜びを受け取っている。
それくらい、元気のエネルギーも笑顔のエネルギーも人間が根源的に触れたいと思っているパワーの源。
私はいつもその意識を忘れないでいたいなと思いました。