意識の話

ピアノの先生と私の話

 

 

4/3(水)〜4/7(日)【タントリックヒーリング 】長野・宮城・岩手・青森 ♡o。+..:*♡o。+..:*♡o。+..:*♡o。+..:*♡ ⁡ 4/3(水)〜4/7(日)【タントリックヒーリン...

 

私がピアノを習い始めたのは小学4年生。

父親は昔から音楽が好きな人で、自分自身もジャズベースを趣味でやっていたこともあり、私にも音楽に触れさせたかったのかなと思う。

実際、子どものころは、そんなにピアノを楽しめてなかった。先生がこわかったし、先生が言っていることをちゃんと理解できてもいなかった。

それでも、学校や部活、受験勉強と並行しながら結局は高校3年生まで続けた。

9年間。

中学生くらいのときか、先生に反抗したくなった時期があった。私自身の内面が思春期だったこともあり、ピアノをバンって叩いて「何ですかその態度は、ゆうこちゃん」って怒られたこともあった。

高校生の最後の3年間なんて、週1回のレッスンで宿題が出るものの、その間一度もピアノに触れずに次のレッスンに行くなんてことがザラだった。

先生にも見抜かれてたと思うし、今思うと本当にもったいなかった。

先生とは、教室を卒業してからすごく仲良くなった感じがした。怒られるなんてことはもちろん全くなくなったし、子どもが成人した後の親のように、何でも認めてくれて、許されているようなあたたかい関係性になった。

私は大学で上京したけど、帰省するたびに先生とランチに行った。年賀状のやりとりもして、携帯電話でメールもした。上の子が生まれて、会わせたこともあった。先生が子ども好きってことはその辺りで初めて知った。
(子どものピアノ教室の先生だから当たり前か!それくらい当時は怖かったの)

ここまで書いていて思ったけど、先生は私にとって先生ではなくて親に近かったんだなと思った。子どものころから私は自然と先生に心を開いていたから、思いっきり嫌いにもなったしその後思いっきり好きにもなった。

最後の年賀状のやりとりは2016年だった。

時は過ぎて、2022年年末。私がタントリックヒーリングに出会って少しした頃。

その年から始めたトランポリンで聴く音楽の種類が変わった。中でもある曲が大好きになって、何度も何度も繰り返し聴いているうちに、その曲をピアノで弾きたいと思うようになった。

区民センターのようなところでピアノが使える部屋を借りられることがわかって、楽譜を手に入れて週に何度も通うようになった。部屋を借りている2時間、3時間、休みなくずっとピアノを弾き続けられた。高校生の頃は、週1回すら練習したくなかったのに。

そのうちピアノが欲しくなって、御茶ノ水で中古の電子ピアノを購入した。

家で、いつでも好きな時にピアノが弾ける環境になった。

楽譜のサブスクを登録して、好きな曲に出会うたびにピアノで弾いた。

私、こんなにピアノが好きだったんだって、ピアノ教室卒業して2倍も人生生きてから気づいた。

そして2024年2月。先月仲間と自分自身を表現するライブで私がやったパフォーマンスがピアノの弾き語り。ピアノを弾くだけのパフォーマンスよりも、ひとつ難しいのを選んだ。

そのステージにあたって、ボイトレのレッスンをうけた。レッスンではボイトレだけのつもりがピアノのレッスンもしてもらった。

そのときのレッスンで、本当にたくさんのことを思い出したの。

ピアノで感情を表現すること
曲を作った人の気持ちを想像すること
自分だったらどう感じるか思いを馳せること
指が鍵盤に触れる、鍵盤から離れる感覚を味わうこと
触れ方で音が全然違うこと
何よりも呼吸が大切なこと

先生から、ずっと言われていたこと。当時もたくさん楽譜にメモ書きしたこと。
ありありと思い出した。

大人になって、特に今の生き方をするようになって
呼吸の大切さとか、感情を感じることの喜びとか、多分普通の人よりも深く感じている私は、小学校4年生のときからそのことを感じられる環境に身を置いて生きていたんだ、と感じた。

当時の私は理解できていなかったと思うけど、こうして感覚を思い出したということは、身体の中に呼吸とか感情とかそれらが、「人生において大切なテーマだよ」って刻まれていたのかもしれないなって思う。

そのことをどうしても先生に伝えたかった。

今の私にとってすごく大切なことを、すでに子どもの頃に先生に教えてもらっていてすごくありがたかったこと、子どもの頃からそんな環境に身を置けていたことに感謝の気持ちを感じていることを先生に伝えたかった。

なかなかきっかけがなくて、連絡を取らなくなってしまった先生。最後が2016年の年賀状。あれから8年。

私には二人目の子どもも生まれたし、生き方も変わった。話したいことがたくさんある。

お手紙を書いた。

先生の娘さんからすぐに連絡がきて、先生はすでにに亡くなっていたことがわかった。「いつもゆうこちゃんゆうこちゃんって、話してましたよ」って娘さんが話してくれた。

先生が亡くなったのは、私がまたピアノに熱中し始めたのとちょうど同じ時期だった。すごく悲しかったし、残念だったけど、先生とはちゃんとつながっていたんだなって思った。

今思うと、私は、本当に大切に可愛がってもらって育てられたし、必要な教育や教養を、数多くの中から選べる環境に身を置かせてもらい、身につけさせてもらった。

節目ごとのお祝い、誕生日、家族、親戚の集まり、いつもあたたかかった。親、親戚はもちろん、こうやってたくさんの大人が大切に見守ってくれたなと思う。

今も、親、親戚、関わってくれるたくさんの人たちは、いつも温かくて私を一人の人間として尊重してくれる。

私は、たくさん受け取って育ってきたから、たくさん与えられる人であり続けたいと改めて思った。

 

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