2023年末からの2ヶ月間。
これまででもそうないほどに現実が悲劇的で、自分の内面をよくみた2ヶ月間でした。
ちょうどこの2ヶ月間は、「ありのままの自分自身」を表現するライブカフェイベントを仲間と創り上げる準備期間と重なっていて、これも自分の采配だったなと感じます。
この2ヶ月のテーマは「毒抜きと受容」
(毒抜きっていう刺激的な言葉は、1ヶ月前くらいにふと浮かんできた)
私がこのイベントで表現しようと思った「ありのままの自分」は、まさに今窮地に立たされている自分自身でした。
家族、お金、大切な人たちからの信頼、愛、こうした、多くの人が「生きる意味」と思っているようなものを全部失ってしまうかもしれないという場所に立たされたときの孤独感は強烈でした。
そしてその孤独感があまりにも強烈だったために、苦しすぎて未来の心配ができない、つまり「まだ何も失っていない今この瞬間の私自身でしかいられない」という瞬間を何度も何度も繰り返し体験しました。
「今この瞬間の私」が揺るぎない安心感の中にいて、圧倒的に幸せでいられる存在だということを、相反する現実があったからこそ、強烈に体験することができたなと思います。
それまでの私も、内側に本当の自分の幸せ、溢れ出てくる無条件の愛があるということをわかってはいました。
だけど、外側から愛されること、評価されること、物質的豊かさ、そのような刺激的で、あまりにも瞬間的に気分を上げてくれる、外側からもたらされる幸せについ寄りかかってしまうことも少なくなかったです。
本当の意味での幸せは、内側から無条件に生まれる愛で自分を満たすことだということ、それが人間の幸せの100%だということを、肚の底からは理解していなかったなと思います。
きっと、この本当の愛を、私は揺るぎなく体験したかったんだなと思います。
この2ヶ月は、インスピレーションがくることを待ち続けた2ヶ月でもありました。イベントの内容についてもそうだし、向き合っている問題に対する私の回答についてもそう。
些細なこと、大きなこと、いろんなことが起こったし、その一つ一つがなぜ起こっているのかを丁寧に紐解いていくにつれて、去年一年の私自身に何が起きていたのかがわかっていって、同時にそれは、私自身に対する毒抜きでありリハビリであり癒しでもありました。
実際に、イベントで何をどう表現するのかを待ち続けて、待った先で生み出したステージの内容は(改善点とか次のステップはあるものの)今の私自身の最大限のパフォーマンスだったと思います。
実際にそのイベントが終わったら、薄々予感していた通り、長い間私の中から抜けなくて、これからも長い時間をかけて付き合っていくんだろうと思っていた執着の感覚が溶けて消えていることに気づきました。
同時に執着を持っていた過去の私のことを愛おしく思えたし、そんな数々の体験から抜けた私のことを「強くなったね」って褒めてあげたいと思いました。
そして一番大きかったことは、こんなに苦しい現実や、それによって生まれた強烈な孤独感すら、受け入れることができると感じられたこと。
目の前で起こることが苦しいと思うのは、そのことをありのままの状態で受け入れることができないから。
起きてほしいことが自分の人生に起こらないこと
起きてほしくないことが自分の人生に起こること
それが「ある」ことを受け入れられない自分
それが「ない」ことを受け入れられない自分
「嫌だ」と言い続けているうち、相手のせい、環境のせいし続けているうちは、嫌な人生が続いていきます。
認めて、受け入れればいい。みんな、それができます。
どんなに怖いと思っていることすら、認めて受け入れればそれが私の人生になって、怖いどころか学びや強さになっていきます。
そのときに得られるものは、怖いと思っていたこと、嫌だと思っていたこと、そんなのが砂粒に思えるほど自分にとって価値がある学びだったり、人生のテーマだったり、万人に幸せを届けられる生まれてきた意味だったりします。
でも、認められる、受け入れられるのは、根底に自分自身から生まれる愛があることを信じているから。そのことを信じていられれば、身を置く世界がどんな状況になっても、私が大切にするものや人が、必ず幸せであることを確信できます。目の前のことは私自身が拡大するために起こっていることでしかないと、確信できます。
私はその愛を強烈に自分で感じるために、これまで性に蓋をしてきたし、さらに自分で蓋を外して生きてきました。
この体験で私は、ますます子宮や性エネルギーを多くの人に伝えていけると思ったし、その器をまたひとつ大きくできました。
セッションの内容も次々深さが更新されて、パワフルになっていることを体感します。これからも、起こること全てを自分の人生にしていきたいなと思います。