本日、久しぶりに強烈に自己否定を感じるような出来事を起こしました。その出来事を起こして、そして今この文章を書けるようになるくらいに自分自身が元に戻ってきたので、その記録をここに告白として残しておきたいと思います爆
今日、とても素敵な人に再会したの。その人は、とてもパワフルでエネルギッシュなのに、淡々として落ち着いていて、魅力的であり、憧れるなぁという姿の人。
私自身も自分にパワフルさを感じるし、一つのことにコミットしたときに出すエネルギーの大きさは自分で自覚している。
特に性のことに関しては自分の意識が広がっている自覚があるし、それに伴って現実も大きくなっている感覚があるから、性の分野で自分が体験したこととか創造したことを人に話すときも、ナチュラルに話している自覚がある。
そんなときは自分の内側に抵抗がないし、自分を大きく見せることも小さく見せることもない。ナチュラルな感覚。
今日はその人が、あまりに淡々と自分の「すごさ」(注:私から見たすごさ、ということ。ご本人はそんなエネルギーは全く出してない)を話すので、私ってばうらやましくなっちゃったのですね。
うらやましいなぁとか、私もそうなりたぁいとか、私も淡々と話したぁい!ならよかった。
だけど本日私はやってしまいました。その素敵な人があまりにナチュラルにご自身の体験を語るのを見て、「私だってすごい!ムキ!」ってなっちゃったのですね〜恥
そして、とある私の事象について、すごいって思われたい!という感覚のまま話してしまうという・・・
そして周りの反応がそうでもないという、誤算!!
すごいと思ってるの私だけ!!爆
わかりますか?
満を持してドヤったときの、周りの反応の薄さに、自分の心の中の恥ずかしさ・浅はかさ・滑稽さ・哀れさ・承認欲求ダダ漏れのような感覚に触れるこの強烈にザラっとする感じ。
あーもう久しぶりに自己否定の沼に堕ちました。
マウントを取りたい、すごいって思われたい、人の上に立ちたい。そういう感覚がまだまだまだ私の中にあると思いました。
しかも、内面の豊かさではなく、外側に持っている持ち物で。
これだけ、オーガズムという内面の豊かさについて語っているにも関わらず泣
「周りよりもすごい」
そんなことで得られる一瞬の優越感は、自分のことを大きくブレさせる。
だから。今回優越感を感じられないという誤算が生まれてよかったんだと思いました。こうして自分自身の邪を、見ることができた。
昔はこういう感覚だらけだった。
私だけ幸せになればいいと本気で思ってた。
本当に親しく心を許せる人以外は敵だと、それも無意識で本気で思ってた。
でも今はそうじゃない。
ときどき、こうして邪や闇が出てくる一方で、世界を信頼して愛を表現して生きたいと思う、これが今中立に立って真実と思えること。邪もあるから愛もあるし、闇もあるから光もあるということですね。
ただ、憧れるな〜、私もそうなりたいな〜、だけでいいんだよね。みんな平等に、望んだ通りに生きられるという法則の上に生命を授かってるから
あの人も素敵だし、私も素敵。
あの人も最高だし、私も最高。
誰かより優れていたり、誰かより秀でていたり、する必要はないのにね。
そんな、まだまだ見栄っ張り子で、マウント取り子で、ドヤりたい子な本日の私の告白でした。