愛することに上限を設けずに、大切な人にどこまでも愛を委ねようと決めると自分の中から無限に愛が生まれる感覚に歓喜を覚える。
お母さんが子どもを無限に愛せるのと同じように。
子どもがお母さんを無条件に愛するのと同じように。
意識的にか無意識にかは関係なく、自分の中から、無条件に愛が生まれることを体感し尽くすと、どこまで生み出しても枯れることがないっていうところまでいくと、身体を満たしてもあまりあるその愛は、たくさんのところに受け取られていくんだと感じる。
一人の人をこれ以上ないほど深く愛するように、同じ量のエネルギーで多くの人を愛することができる世界があるとしたら、それは自分の愛が無限であることをただひたすらによろこべる世界なのかもしれない。
これは今日の朝、私に生まれた感覚。
無限に無条件に愛を放つ愛の人がいるとして、その人が無理に一人だけに愛を誓って生きているとしたら、それは愛を制限することかもしれない。
本当は世界に放たれるはずの愛の循環が止まってしまうことなのかもしれない。
愛の人の周りに、愛を受け取る人がたくさんいるのは当たり前のことなのかもしれない。
だけど私含め多くの人は、一人に絞ることを自分に強いたり相手に求めたり。いっときはよくても続くほどに自分の首が絞められたりする。嫉妬、執着、依存。
この無限の無条件の愛の世界を不足の感覚からみると、理解できない。それは本当の愛じゃない、とか思ったりする。
感覚が変わらないと分からない世界。
感覚が変わったらたぶん心地よい世界。
私はしばらく行ったり来たり。
でも私はタントリックヒーリングでこの世界を体感してもいるわけで。現実に入り込みそうになったとき以前よりも自分に戻りやすくなっていて、自分の中の無条件の愛に触れたときに、やっぱりこれが真実だと思えるのです。
この世界を体感するまで探求してみたい。