今回の記事のテーマは「甘えること」。
私の中で解決していない心の動きを書いていきます。できる限り、甘えるということについて私の心や感覚がどう動くかを綴り、最後に「人に甘えられる私になる」という自分を迎えたい、というシリーズです。
私は人に甘えるのが苦手です。長女タイプは甘えるのが苦手と言いますが、その通り私も長女です。
だから、上手に甘える女子とか、懐にスッと入り込む女子とか、そういう女性を見るとザワザワします。
嫌い、苦手、、嫉妬、、、うらやましい、、、、そんな感情がうようよと湧いてくる。私も本当は甘えたい、頼りたい、わがまま言ってみたいんでしょうね。
実はこの「甘える」ということが私が向き合うべき問題だということに私は7月から気づいていました。
私の目の前に甘え女子が現れ、その女性の可愛らしさや愛くるしさに、強烈に嫉妬の感情や「奪われたくない!」という制限の感覚を感じました。
それに8月に入ってからは「甘え下手」と身近な人からも明確に言われました。
無理やり甘えようとすると、自分の中にザワザワとした体感が生まれます。地に足がつかない、喉が締め付けられるような苦しい感覚。同時に「相手を困らせたくない」という思考も生まれてきます。
なぜ甘えられないのか?なぜ甘えようとすると苦しい感覚になるのか?
自分を深くみていくと、一つの前提に気がつきました。
「甘えることは、相手から奪うこと」
相手に甘えることは、相手の時間や持ち物、キャパシティ、愛、体力、余力そうしたいろいろなものを相手から奪うことだと思っていることに気づいてしまいました。
ですから、私は甘えられるのも苦手なのです。奪われたくないから甘えないでほしいと思っているのです。
顕在意識では覚えていませんが、きっとどこか昔の私が、誰かに甘えて、その相手を困らせたり、相手に拒絶されたり、そんな経験があって「甘えたらダメなんだ」という感覚を覚えたのでしょうね。
でもこれは真実ではないと頭では分かっています。
「甘えることは、甘えられる側の心に愛の感覚を感じさせる行為」
甘えることで、相手に人に頼られる度量があることを感じさせることができる。
相手の心に人を可愛がる感覚や愛情を呼び覚ますことができる。
「甘えてくれてありがとう」って素敵じゃないですか。
だからそっちの世界に住みたいのです。
私は甘えたいし、人から甘えられて「甘えてくれてありがとう」って思いたい。
今のところ頭で考えているだけで、自分の体感覚では感じられないのでいろんな方法を使って「甘える」ということに対する感覚を変えることにコミットしてみたいと思います。